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- [全日制]大阪校*フリーランス作家として活躍する卒業 ...
2018.01.30大阪
卒業生
バンタンデザイン研究所大阪校のデザイン学部を卒業。
デザイン事務所オットーデザインラボに所属した後、
バッグパッカーとなって世界を旅された
フリーランス作家の高橋彩さん。
バッグパッカー時代にインスピレーションを得て制作した
作品を発表する個展「サイミの旅」が開かれます。
ダンサー→バンタン→オットーデザインラボ→バッグパッカー→作家と、
多様な生き方をしてこられた高橋さんに、
バンタン時代のお話や制作活動のポリシーなどのお話をうかがいました。
---バンタンに入るまでは何をしていましたか?
ずっとダンスをしていました。
コンテンポラリーとか、バレエとか、日本舞踊もやりました。
ダンサーになりたかったんです、その時は。
---どんな高校生でしたか?
もともとダンス一筋で、高校の時に留学しました。
ブリトニースピアーズが好きだったんですけど、
バックダンサーになるためには英語を喋れなきゃいけない、と思って。
現地の高校と両立してダンススクールに通っていましたね。
留学から帰った後も、もっとダンスを学びたくて、単身NYに渡米しました。
---デザインとは違うことをされていたんですね
はい(笑)
でもNYでわかったことは、上には上がいて…
自分のダンス動画を本場の人と比べては、だんだん熱が冷めてくるのが分かりました。
次の道をぼんやり探し始めたのもその時です。
それが23歳くらいの時ですね。
---そこからデザインの方向を考えられ始めたんですね
はい、本屋でデザイン関係の雑誌を読んだんです。
もともと興味のあることだったし、
コラージュなんかが好きでよく一人で切り貼りなんかをしていました。
もっとちゃんとやりたいって思って。
デザインの勉強をするのはバンタンが初めてでしたね。
---デザインを勉強しようと思ったのは、将来を視野に入れてですか?
はい、そうです。
両方同時進行で学ぼうと思っていたのですが、
デザインを勉強しているうちにすごく楽しくって。
課題や授業にのめり込んでいるうちに、ダンスはフェードアウトしてしまいました(笑)
あれだけ熱を注いだダンスをする機会は減りましたが、
デザインの方向に進んで後悔はないです。
---ほかの学校はみましたか?
はい、東京の美大を見ていました。
とにかく大きなところを見てみようと思って、
名前だけで探していましたね。
でも、美大は違うなぁ、と…
出身が大阪だったので地元で探しているとき、
実際にバンタンを見学していいな、という印象を受けて決めました。
---バンタンはなにが「いいな」と思いましたか?
バンタンが一番、自分がやりたいと思うようなデザイン、
たとえば校舎の作りであったり、学生の服装だったり、
自分もこういう感じのことがしたい、と思ったんです。
ファッションも好きだったので、
そういう文化が同じ校舎にあることも大きかったです。
---何学科に入りましたか?
当時のビジュアルデザイン学科です。
※現在のWSグラフィック&イラスト学科
---どんな学生でしたか?
どちらかというと、仲良く、というよりは、
少し距離感を持っているような学生でした。
私は入った年齢がみんなより少し上だったのもあって、
コンペとかではがっつりライバル視していましたね(笑)
やりたいことは突き詰める、というか。
【高橋さんのイラストや作品】
---アウトローだったんですね(笑)
いえ、でもみんな性格がよかったし、楽しかったですよ(笑)
当時のクラスの仲間とは、いまだに集まったりします。
---授業やバンタン生活で、どんなことが印象に残っていますか?
某Y先生の授業です。
本来はファッションデザイン学科の先生だったんですが、
グラフィックとは違う切り口で教えて下さいました。
Illustratorとはまた違う、立体的なもののとらえ方ができたので斬新だったし、
いろんな発想を掻き立ててくれる授業で楽しかったです。
---では、つらかった思い出は?
最後の卒業修了制作展ですね。
すでに就職先が決まっていて、自分の中で段階が終わっていたこともあって、
何を自分が出すべきか…
取り合えずにはしたくなかったんですけど、
本当に前日の晩まで案が何も出てこなくて。
一応作ったものは作ったんですけど自信をもって出せない自分がいて、
しんどかったというか、それが心残りですね。
~
後編に続く
https://www.vantan.com/topics/blog/detail/3197.php