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2019.06.28東京
イベント卒業生
『サンダンス映画祭』『ベルリン国際映画祭』『ブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭』で3冠を達成した作品『WE ARE LITTLE ZOMBIES』。
監督したのは長久允さん。
大手広告代理店の現役CMプランナーであり、映画監督という稀有な存在。そして、バンタン映画映像学院映画監督コース(現:バンタンデザイン研究所映像学部)の卒業生でもあります。
一見すると、雲の上で大活躍している先輩ですが、「ここ2年くらい前まで、映画は撮れないんじゃないかと思っていた」と話します。
バンタン生のために、表現者として大切にしていること、これまでの葛藤についてフラットに語ってくれました。
《入学前》
—高校生時代はどんな学生でしたか?
「小器用だったと思います。なんでも8割方できるけれど、ちょっと冷めたところもあって。あとは、モテるとかはどうでもよかったんで突然スキンヘッドにしたり(笑)
音楽が大好きで、バンドボーイでした。」
—当時の夢を教えて下さい。
「バンドで食べられたらいいなーと思っていました。高校時代、映画は全然志望していなかったです。ほとんど見ていませんでした」
—大学とのダブルスクールをされていますが、なぜ映画の道を志したのでしょう?
「大学2年生のとき、これ以上音楽をやっていても上手くならないと悟ったんです。一日、十何時間練習しても上手くならないから音楽で食うことはできないなと。
音楽への熱量を何かに転じないと自分のアイデンティティがぶっ壊れそうだったんで、Tシャツを作ったり縫い物したり、半ば強引にいろいろなことに情熱を傾けてみたんです。結果、映画は『表現の自由さ』が音楽に近いと感じました。
映画でやっていくぞ!とまでは思ってはいなかったけれど、自分を追い込むために人生を賭けてバンタンに入学金を払いました。」
—他にも専門学校があるなかで、なぜバンタンを選びましたか?
「大学編入も面倒だし、芸大の院に進学するとなると2年待つ。なので、『ライトでオシャレ』なバンタンを選びました(笑)
他のスクールが若干湿ったような自主映画的映像を推してくるのに対して、バンタンはPVとかも含めてより多角的な映像を教えてくれそうな雰囲気があったんですよね。MTVとかをよく観るコだったのでそこが良かったのと、あとは大学が渋谷だったので物理的にダブルスクールしやすいのも利点でした。」
《在学中》
—苦手な授業、好きな授業はありましたか?
「ドキュメンタリーの授業は苦手でした。真面目に取り組んでいたんですけど、僕の中に作りたいものがあるのに被写体を最優先して時間をかけるのがもどかしくて。『俺の中に、既に作りたいものがあるのに〜』みたいな。なので、ドキュメンタリーを撮る人は尊敬しています。
好きだったのはシナリオの授業かな。ハリウッド式脚本の書き方や、キャラクターの書き込みなど、シナリオの基礎を教えてくれる授業なんですが、僕はいちいち違和感を感じていました(笑)」
—今の自分に役立っていると感じますか?
「スクールで王道のセオリーを教えてもらえたからこそ、『それは守らなくてもいいんじゃない?』とか、『それはちょっと違くね?』って思うことができました。教科書的なことを知らなければ逸脱することもできないわけで、基礎を教えてもらえたことには感謝しています。
あとは、当時スクールの機材やスタジオが使い放題だったこと。個人で入手できない高価な編集機材を使えたので、恵まれた環境だったと思います。」
—学生の頃は、どんなことにエネルギー使っていましたか?
「ひたすらシナリオを書いて、短編を撮影していましたよ。
卒業制作でも、100万円くらいの予算をつけてもらって自主制作映画を作ることができました。雨が降らない世界で、みんなが困りながらも暮らしている群像劇『FROG』(※1:TSUTAYA等で借りられるそう!)は、14年たった今観ても『描きたいコアな部分は変わらないんだな』と感じますね。ただし、当時の自分はとにかく評価されたくて、評価者にあてた物作りをしていました。想いが空回りしている部分もあるし、技術的にヒドいところもあります(笑)
—学生時代の悩みは?また、どのように乗り越えましたか?
「新人賞に引っかからないこと。
面白いものを作っている自信はあるのに、他の人の価値観と違うんだな、ま〜しょうがないなぁという気持ちはありました。それで、就活したんです。映像制作会社の監督志望で20社ちかく受けましたがすべて落ちました。そんな中、唯一面接までいったのが今の会社だったので、縁かなーと思って入社しました。」
《卒業後》
—卒業してから現在までの職業を教えて下さい。
「最初はスーツを着て営業をしていました。その後、CMプランナーという仕事に就きます。人さまの伝えたいメッセージを翻訳して、映像に定着させる仕事ですね。」
—有給休暇で撮りあげた短編『そうして私たちはプールに金魚を、』がサンダンス映画祭で短編部門グランプリを受賞したのが転機になったのかと思います。どのようにして夢を達成してきたのでしょうか?具体的なアクションあれば教えて下さい。
「正直なところ、2年くらい前までは、映画監督になれると思っていなかったんですよ。でも、僕は真面目なので、CMプランナー時代もひとつひとつの納品物は丁寧に手を抜かず作ってきました。
あとは、実験的な面白いことはできないか?と、いつも何かを得ようと思いながら仕事をしていましたね。広告に携わってきた十何年かが、映像の色々な表現方法を身につける筋肉になり、そのおかげで今こうして作品を撮れていると思います。」
— 『WE ARE LITTLE ZOMBIES』を通して伝えたいことは?
「ユーモアとかニヒリズムを持つことで不幸から逃れられるのではないかなと。
大学時代はシュールレアリスムを専攻していたんですが、そうした思考が人を幸せにできるのではないかと思っています。
前作『そうして私たちはプールに金魚を、』も、『WE ARE LITTLE ZOMBIES』も、人生は今しかなくて今100%のことをするしか価値がないよ、というメッセージを込めています。でも、そんなにハードなことではなくて、基本は、みんな頑張っているからダメなやつはいないし優劣もないんじゃないかなと。『全員にとってフラットで優しいまなざし』で作品を作りたいと思っています。」
— 卒業してからバンタン生とお仕事で関わることはありましたか?
「プロデューサーの鈴木康生さんは同級生で、卒業制作のときから一緒に作っています。好きなものや到達したい映像が合致しているので、僕が少しでもズレると『寒くなってきた』とか『説明過多だよ』と指摘してくれます。照明の前島祐樹さんもバンタンの先輩ですね。」
— これからの夢を教えて下さい!
「魂を削ることで作れるものしか作りたくないなということがひとつ。
もうひとつは、僕の映画はカットが多いのでお金がかかります。今の日本の映画システムでは、薄給で辛い部分があると感じています。なので、違うシステムを模索してみんながハッピーになりながら新しい価値観の映画を作っていきたいですね。」
—最後に、業界を目指す学生たちにアドバイスをお願いします!
「自分が正しいと思う表現を『やりたいからやる』でいいと思う。自分がいいと思う表現をやる、その一点に集中していけば、おのずと道は開けると思います。自分が『本当にこれが美しいんじゃ!』と思えるものを作ることが人生において意味があるなと、最近気が付いたんですよ。
そこにスマホがあるなら撮るのみ!
シナリオを書くのは0円だから書くのみ!
出てほしいキャストがいたらTwitterのDMでお願いすればいい!
ただ、やればいい!!!!」
長久さん、素敵なお話をありがとうございました!