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- [全日制]ロンドンにてファッション業界の第一線でご活 ...
2018.04.13東京
バンタンデザイン研究所のファッションデザイン学部を卒業し、日本を離れ、
ロンドンでファッション業界の第一線でご活躍する高嶋一行さんにインタビュー!
プロフィール
高嶋一行(タカシマカズユキ)
1985年京都生まれ。国立舞鶴工業高等専門学校 電子制御工学科卒業。
ファッションの分野へと進むため、バンタンデザイン研究所大阪校へ。
ファッションデザインを学んだ後、渡英。ロンドンにてELEY KISHIMOTOのデザインアシスタントで経験を積む。
帰国後、東コレブランドやインポートブランドを扱ういくつかの会社に勤務した後、イギリスに戻り起業。
ウェブメディア「tokyosamplesale.com」の立ち上げ。
http://tokyosamplesale.com/index.html/
また日本ブランドの海外セールスを行うエージェント「Showcase Tokyo」をスタート。
http://www.showcasetokyo.co.uk
取材記事・寄稿記事など
https://apparel-web.com/tag/kazuyukitakashima
http://tokyosamplesale.com/index.html/?cat=1415
前編/後編でご紹介します!
-高校生時代はどんな学生でしたか?
5年制の高等専門学校で工業を学んでいました。
が、バイトや趣味・ファッションなどに夢中で授業はさっぱり、、、。
友人のノートを借りては写す毎日。
卒業もギリギリ何とか単位が取れた感覚なので、成績は決して良くなかったです。
でもその反面、文化祭の実行役員や多数のサークルの掛け持ちなど、勉強以外に忙しかったです。
古着にハマって、良く古着屋巡りなどもしていましたし、興味があることに夢中でした。
今考えると、この時期が一番自分の興味に正直だったと思います。
-当時の夢をお教え下さい!
学校が私服だったので自然とファッションに興味を持つようになりました。
なので、ファッションといえば「デザイナー」。
単純な理由でファッションデザイナーになりたいと早い段階から思っていました。
当時はデザイナー以外にもファッションビジネスにはたくさんの職業があることも知らなかったので、
分かりやすい職業であるデザイナーになりたいと思ったのでしょう。
知識は無いものの、ミシンを使って服のリメイクをしたりしていたのかな。
-なぜ、バンタンを選ばれましたか?
ファッションの学校に入りたいということは決まっていて、いろいろ資料請求をしていました。
が、正直なぜバンタンを選んだのかは覚えていません。笑
「パンフレットの学生さんが楽しそうだったから」とか「学校内がキレイだったから」とかそんな理由だったと思います。
でも「ファッション業界で活躍している方が講師」という部分は惹かれましたよ。
何かいろいろ吸収できるんじゃないか。と希望を持って入学しました。
-バンタンデザイン研究所の何科に入学されましたか?
大阪校のファッションデザイン科でした。
当時は2年制のみだったので2年間。大阪校ができたばかりの2期生だったので、あまり選択肢がなかったように記憶しています。
-学生時代、好きな授業、印象的だった授業、苦手な授業はございましたか?
具体的なエピソードございましたらお教え頂けますと幸いです。
全体的に全ての授業が楽しかったです。
が、絵を描くのことが好きではないので、デザイン画を描く授業は苦痛でしかなかったです。
一応それなりにデザイン画をかけるようになりましたが、当時は全くモチベーションも上がらなかったです。
逆に縫製やパターンはすごく好きで、もっともっとうまくなりたいと積極的に進んでやっていたように思います。
メンズデザインの授業で自分のアウターやデニムパンツを作った時は素直嬉しかったなぁと記憶してます。
まだ実家に残っているはず。。。です。
-バンタンの学生時代はどのような学生でしたか?
在学していた12年ほど前って、スマホなどなかった時代だったんです。
なので、情報収集は結構新聞に依存していたと思います。
遅刻が嫌だったので、クラスで一番早く教室に到着。
学校にある繊研新聞を授業開始まで読むことが日常でした。
周りからは「いつも新聞読んでいる奴」みたいにイジられていましたが。笑
あとは、あまりクラスの友人とダラダラ一緒にいるのが嫌いで、すぐに帰宅して課題などやっていました。
学生によっては、学校が終わったらカフェに行ったり飲みに行ったりしていたようですが、
ワイワイみんなで楽しむために入ったわけではないので。
なので、付き合いの悪い冷たい奴でした。
-学生の頃はどのような事にエネルギー使われていましたか?
学校内、外で、趣味や没頭した事などあればお教え下さい!
かなり真面目なんですが、課題に力を入れていたと思います。
ファッション業界で生きていく!と決意してバンタンに入ったので。
クラスで1番、学年で1番を取らないと、卒業後に通用しないだろうなと思ってましたから。
また、友人グループで自分たちのブランドを作って展示会を開いた経験もあります。
今思えば、すごくレベルの低いものを展示していたなぁと思いますが。。。
でも、自分たちで企画して実行する「何かを形にするという経験」はすごく貴重だったと思います。
社会人になって忙しくなれば、なかなか同じようなことはできないので。
-学生時代に悩む事はありましたか?また、どのように乗り越えましたか?
そうですねぇ、、、。学校としては悩むより即行動をしていたので無かったかもしれませんが。
強いて言うなら通学時間でしょうか。
京都市内の実家から大阪校まで片道1時間半以上かかったと思います。
朝も6時台に起きて準備していたはず。
課題で忙しいとすごく眠くて。眠くて。
乗り過ごさないように、ケータイでアラームをかけながら電車内で寝ていました。
朝の電車は「誰がどこの駅で降りるのか」を毎日の通学で覚えておいて、確実に席を確保する技を身につけたりしていました。
全然関係のない話ですいません。。。
-バンタンでの経験を経て、今のご自身に役立っていると感じることなどはございますでしょうか?
実際に今の仕事でパターンを引いたり法制をしたり、デザインだってやることはないです。
でも、基礎的な知識として知っていて良かったと思うシチュエーションはたくさんあります。
例えばパターンがキレイなブランドの服があっても、それがどれぐらいスゴイのか。どれほどこだわっているのか。
そういう理解ってある程度パターンの知識がないとできないと思います。
「服がどうやって作られるのか」の全体を経験を持って知っていることは、毎日の仕事に役立っているでしょう。
-社会に出てからと学生時代での、一番の違いは何だと思われますか?
納期や約束の重要性だと思います。
学生の頃って、課題の締め切りに間に合わなくても何とかなったんです。
遅れて提出しても、先生は一応見てくれる。
でも、社会に出てからの納期遅れや約束を守らないことがあると、金額的な損失や信用を失うなど、ダメージが大きい。
それに、たくさんの人に迷惑をかけることになります。
なので納期や約束を守る重要性は社会人になってからすごく感じています。
-卒業してから現在までのご職業をお教え下さい。ELEY KISHIMOTOでデザインアシスタントをされていたと伺いました。
どのようにして海外ブランドで働けるようになったか教えて下さい!
卒業後、アポ無しでイギリスのアトリエまで行って「働かせてください!」とお願いしました。
ラッキーなことに、男性が誰もいない職場で力仕事が溜まっていたこともありOKの返事をもらいました。
なので最初はインターンとして働かせてもらい、半年後くらいにお給料をもらえるようになりました。
純粋に好きという気持ちもありましたが、当時、ELEY KISHIMOTOはロンドンファッションウィークでランウェイショーを行なっていたので、
ロンドンファッションウィークでの仕事を経験できること。
またプリントファブリックが特徴のブランドなので、その制作現場を見ることができるなど、自分にとってメリットがたくさんありました。
-どのようにして夢を達成されてきましたか?
具体的なアクションあればお教え下さい。
デザイナーになりたいと元々思っていましたが。
結局、別の仕事を行なっていたりと今はあまりそこまでこだわりがないので達成したと言えませんが。
行動力って大切だなぁと思っています。
どんなことも「どうせ断られるから、、、」とアクションしないことは勿体無いと感じています。
断られたらそこから次に進めるので、何でも聞いてみることを意識しています。
断られなければラッキーくらいの気持ちです。
そうすれば、何かしら未来が変わると思うので。
~後編に続く
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